チリ1751年フェルナンド6世8エスクード金貨PCGS MS63

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スペイン王フェルナンド6世統治時代(1746-1759年)にチリで発行された8エスクード金貨のご紹介です。

このコインは1752年にウルグアイのモンテヴィデオ沖難破し沈んだポルトガルの沈船ヌエストラ・セニヨーラ・デ・ラ・ルース号から1992~1993年に引き揚げられた金貨の1枚です。

800枚の8エスクード金貨が発見され話題になった1751年銘です。

 

表:フェルナンド6世の右胸像。

刻印【FERDINANDUS・VI・D・G・HISP・REX・1751】

裏:王冠・紋章・チェーン

刻印【NOMINA MAGNA SEQUOR】

重量約27gm、直径約38mm。

 

父フェリペ5世は1724年に一時退位し、フェルナンドの長兄ルイス1世に王位を譲っていましたが、ルイスがその年のうちに急死したため復位し、1746年まで位にありました。

フェリペ5世の治世には政治に参与できませんでしたが、他の兄はルイスより先に早世していたため、フェリペ5世の死に伴いフェルナンド6世として王位につきました。

即位後はエンセナーダ侯爵やホセ・デ・カルバハール・イ・ランカステルなど有能な家臣に恵まれ、内政では税制、財政の改革、海軍の増強、道路、橋、造船所などの建設など社会のインフラ事業に努め、文化面では王立サン・フェルナンド美術アカデミーの創設や天文台の設置などにも力を入れ、スペインの国力増強に努めました。

外交ではエンセナダが親仏派でカルバハルが親英派であり、2人は激しく争ったそうです。

この政争は1754年にカルバハルが死去、エンセナダが失脚するまで続き、その間フェルナンド6世は中立を堅持し、イギリス、フランス、ポルトガルとの関係を改善しました。

次の首相はアイルランド出身のリカルド・ウォールであり、その出自もあって親英派だったが、フェルナンド6世の治世の間は引き続き中立を維持し、七年戦争の参戦も見送られました。

物事をよく考えてから行動することから慎重王(スペイン語: el Prudente)と呼ばれました。

 

1729年にはポルトガルよりバルバラ・デ・ブラガンサを王妃に迎えます。

チェンバロ奏者だった彼女の影響を受け2人は音楽という共通の趣味で結ばれた仲の良い夫婦となりました。

バルバラの死でフェルナンドは悲嘆に暮れたといわれています。

PCGSによりMS63の鑑定が付けられています。

218万円でのお取り寄せでございます。